PROJECT 01
APARTMENT BUSINESS
やったことのないことに挑む姿勢
それこそが
「フィリックスらしさ」
フィリックスグループの中核事業である不動産事業。
元々仕入から建築、販売まで一貫して行うスキームだったが、
現在は投資用アパートのメーカーの立ち位置になり販売を代理店に委託する形に大胆なモデルチェンジを行っている。
一棟アパートのメーカーとしては日本初であるこのようなスキームを生み出すまでには、
どのような苦労があったのだろうか。
PROJECT MEMBER プロジェクトメンバー
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代表取締役 社長
水野 秀則
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常務執行役員
佐藤 翔
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エンジニア部
松本 正彦
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不動産事業部 バイヤーチーム
太田 大貴

「やったことないからできない」ではなく
「絶対やりたい」という思いで取り組む
水野 銀行は実績がないと融資してくれないため、フィリックスはリフォーム業から始まりました。その後、融資が受けられるようになって収益物件の買取再販事業を始めて。創業当時からフィリックスを売上100億円を超える企業にすると決めていましたが、買取再販だけで大きくなっている会社はなかった。
水野 ある日、何気なく30坪くらいの角地の建物が解体されていくのを見つけました。駅も近いし、絶対駐車場だと思ったらアパートが建った。正直すごい衝撃でした。買取再販は仕入が大変だし、資源も有限。狭小地でのアパート建築なら土地活用でやっている大手メーカーと競合しないし、自分で建てれば自らで商品を生み出すことができる。
水野 「やったことないからできない」ではなく、「絶対やりたい」という思いで取り組みを開始しました。それが今から5,6年前かな。仕入れから現場監督、販売まで全部自分でやりました。
佐藤 その時僕は別の会社にいて、一棟目の現場の検査をやっていました。その時にはフィリックスに来ることは決まっていて、そこから社長と一緒にこの事業の立ち上げを行ってきました。
「コロナプラス」
ピンチの時に打開できるかどうか
水野 事業がうまく軌道に乗っていた中で、コロナが中国で流行をし始めた。これが日本で流行ったら大変なことになると思い、一気に仕入れを止めました。そしたらあっという間に日本でも感染者が出て、気づいたら緊急事態宣言。
水野 このまま事業を止めてたら雇用も維持できないし、駅前のオフィスも維持できないなと。ピンチの時こそどう打開できるか試されていると思うんです。『コロナプラス』。そんな造語を作り、こんな状況だからこそプラス発想で打開しようと決めました。
水野 そこで自ら販売するのではなく、代理店に販売を委託しメーカーの立場になる新スキームの案を佐藤さんに相談しましたね。5年前と違い、実績も経験もあるし、仲間もいる。当時は自分で主導したが、今はみんながいる。今回は組織で動いていこうということで自分は奥に引きました。
水野 今考えるとそれも良かった要因だと思います。でもうまくいったらすごいことになるとは思っていたが、正直実現するまではすごい不安でしたね。
作ったものに乗っかるのではなく、
作る側の人間であること
佐藤 そこから不動産事業再構築プロジェクトが始動しました。毎日朝から晩まで社長と平野さんとみっちり打合せして。最初社長から話をもらった時は不安しかなかったですね。協力会社にはフィーを払わないといけないし、それを払うためには自社の利益をしっかりと出さないといけない。
佐藤 でも利益は物件によってまちまち。なので利益を安定させること、利益率を高めること、それを両立しないといけなかった。その時期にフィリックスシンセイがM&Aで仲間に加わったので、その強みを生かした考え方の組み直し、土地の仕入基準の変更。
佐藤 愛知県全域・全駅の賃料相場・坪単価・入居率を調査して、どのエリアなら成り立つのか。三重県まで検討して、結局愛知県に戻ってきたりなんかして。その2か月半は遠回りはしたけど意味があったなと思いますね。あと、平野さんがいないと正直成り立たなかったと思います。
平野 私はとにかくお二人についていくのに必死でした。今まで聞いたこともないし、ましてや計算したこともない利回りや粗利の計算がどうしても遅く、もどかしかったです。社長と佐藤さんの要望にどうして応えられないんだろう、と。必死に食らいついていくことで今ではスキルも上がりました。
水野 そのやったことないことに挑む姿勢こそがフィリックスらしさだよね。僕も平野さんがいないと無理だったと思う。あの時の平野さんを見て、作ったものに乗っかるのではなく、作る側の人間なんだなって改めて思いました。
今うまくいっているのは、
先輩たちが諦めずに指導を続けてくれたおかげ
松本 僕は当時、正直拗ねていましたね。工務としてやっと独り立ちしたタイミングで、これから頑張っていこうというところで20棟分の現場が一気にストップに。協力業者にも謝りに行かなくてはいけませんでした。会社の判断が速すぎて、正直ついていけないと思いました。
松本 そこで佐藤さんとはとことん納得できるまで話して、切り替えていきました。今となってはあの時の判断が正しかったんだなと分かります。当時はこうなるなんて全く分からなくて。でも目に見えて事業が良くなっていくので、それがすごくやっていて楽しいですね。
太田 自分は去年の2月に入社して、最初は以前の基準で仕入活動をしていましたが、5月頃に佐藤さんや平野さんの定めた新しい基準での仕入活動に代わりました。以前は相場通りの坪単価でよかったのが、相場より10万円から20万円ほど安くないといけなくなり、協力業者に怒られることすらありましたね。
太田 最初のころは100棟分の土地情報を稟議にあげても、10%くらいしか通らなかったです。正直全然うまくいっていなかったのですが、先輩たちが諦めずに指導を続けてくれたおかげで、今では80%くらいは通るようになってきました。仕入れは全業務の最上流にあるので、自分の仕事を起点に、後工程の人たちの仕事が生まれていくことがうれしいです。
三石 私は太田さんが仕入れてきた土地情報にどのような建物が入るかを試算しています。前職では住宅専門だったので、狭小地に建てるアパートは難易度が高く法令上の制限も多いので勉強しないといけないことも多いんです。とはいえ勉強だけでなく、日々の業務にはスピードも求められるので責任も感じます。今でも完全ではないし、ブラッシュアップしていかないといけないなと感じます。
関係者全員が幸せになる事業を
全国展開していきたい
水野 不動産事業は、結果として売れることがすべてだと思っています。どれだけ頑張っても失敗することなんてザラにある。代理店経由で1棟目が売れた時は本当に嬉しかったですね。そこからは想定した中で最も良いシナリオで進んでいっています。
佐藤 このスキームになってから5棟目までは同じ代理店が販売していました。そのあと6棟目から他の代理店が売ってくれるようになって、一気に普及しだしました。一棟アパートで同じスキームを打ち出してやっている会社が他になく、ある意味日本で初めての事業を作れたなと思っています。
水野 弊社の商品は利回りが高いので、投資家様にとって魅力的だと思うし、販売会社様も良い商品なので自信を持って紹介ができる。さらにアパートには最新のIoTを導入しているので入居者様にも選んでいただける。関係者全員が幸せになれる事業だと思うし、この事業を東京や大阪など主要都市に進出して広めていきたい。フィリックスはこの事業で日本一になれる会社だと思ってます。